7/31/2008

天聲人語20080730

明治の初めに来日したオランダの治水技師ヨハネス・デレーケは、富山県の常願寺川を見て「これは川ではない。滝だ」と驚いたそうだ。高い山から海へと急ぐ 姿に、欧州の平野をゆったり流れる川とは違う厳しさを見たのだろう

明治初期來日本的荷蘭治水技師ヨハネス・デレーケ, 據說看到富山縣的常願寺川大為驚訝:「這不是河川,是瀑布吧!」。大概是看到由高山往大海急流的樣態與歐州平原中緩慢河流完全不同吧。


そうした河川が、山がちな日本には多い。神戸市の都賀(とが)川も、デレーケが見たら 滝と思ったかもしれない。六甲山系から坂の街を流れ下る。おととい、急な雨で増水し、子どもら4人の命をのみ込んだ。

這樣的河川在多山的日本是很多的。他如果看到神戶市的都賀川,可能也會覺得是瀑布吧。都賀川由六甲山系流過街道的斜坡。就在前天,因急雨而水勢大增,4個孩童的性命被吞噬了。

コンクリートに固められた「せせら ぎ」は、市民の憩いの場だった。それが瞬く間に濁流と化した。手なずけていたつもりの動物が、いきなり野性に目覚め、牙をむいた印象である。都市河川とい えども、自然の一部に他ならないとあらためて思う。

以水泥強化的「潺潺細流」是市民休憩的場所。卻就在瞬間變成了濁流。就像應該已經被馴服的動物,突然野性覺醒而呲牙咧嘴相向一樣。雖說是都市河川,應該重新視為自然的一部份。

アウトドアが人気の昨今、人が手を加えた「疑似的な自然」を楽しむ場所が増えている。整備されたキャン プ場や親水公園などだが、油断は禁物だ。ふだんはやさしげに見えたとしても、人間の管理で「自然の牙」が抜けたわけではない

近來戶外活動盛行,提供人工「擬自然」遊樂的場所增加中。在供應齊全的露營場、親水公園等等地方,還是不能大意的。即使平常看來溫和,還是不可能以人類的管理就能將自然之牙拔除的。


大正から昭和初期の名登山 家、大島亮吉を思い出す。名著『山――随想』を書き、「そのもっとも平穏な日において、山の凶暴さを思え」という警句を残した。のちに多くの登山家の胸に 刻まれていった言葉である 命令形

想起大正到昭和初期的名登山家「大島亮吉」。寫下名著「山---隨想」,並留下警句「在最平穩的日子,要查覺到山的凶暴」。是銘記於後進許多登山家心中的一句話。

大島の言う「山」は、川とも、海とも、そして自然とも置き換えることができよう。自然に親しむ機会の多い夏休みである。大いに 楽しみながらも、秘めたる「牙」への用心はゆめゆめ忘れぬよう。亡くなった4人の冥福を祈りつつ、肝に銘じたい。

大島所說的山,換成河、海、或是自然都可以通。到了與自然親近的機會很多的暑假了。雖然盡情地歡樂,千萬別忘了對秘藏的「牙」的小心哪。衷心祈願亡故4人的冥福。一邊為逝去的四個孩子祈願冥福,一邊牢記此慘痛教訓。

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